黒牟田焼 トップ





◆黒牟田焼の由来と伝統◆
 日本の陶器史の中で黒牟田窯は、武雄唐津北部系に属している。黒牟田窯は現在、佐賀県武雄市武内町にり、この一帯には30近くの窯跡が点在し、 一大群窯の姿を今にとどめている。黒牟田窯は桃山末期の慶長、元和の頃(約420年前)に朝鮮の陶工宗伝と共に帰化した群団陶工の開窯によるも のである。開陶以来、窯の焔は燃え続け肥前一円の庶民の日常の雑器のすべての種類を焼成してきたのである。したがって黒牟田窯の製品は日常の生 活用品をはじめ、宗教用具に至る範囲にわたり、その規模は実に雄大であったことが、数々の伝世品、発掘品をとおして伺われるのである。
 黒牟田窯の伝統陶技は従来の古唐津の北部朝鮮陶技の中に、李朝中期の作調、文様が表現され、主に往時の肥前の土着民の生活感情が流れている。 黒牟田窯の製品の特長は素朴な親しみ易い意匠形状と釉調にあるといえよう。殊に黒釉薬、緑釉薬の味わいと大胆な刷毛目の細線は端的に黒牟田窯の 個性美を表している。いまなお、生産されている「そろばん玉型の黒土瓶」「笹絵徳利」「油壷」「刷毛目皿」などは実によく黒牟田窯の特長をとど めている。
 現在は、黒牟田窯は丸田窯を中心にかつての伝統を守りながら新しい時代の民芸陶器の生産に起ち上がり、さかんだった中期の黒牟田の面影をいま にとどめて肥前民芸品としての復興と技術保存に専念している。なお黒牟田窯には昭和25年の夏、約2ヶ月にわたり浜田庄司(人間国宝)が旅の杖 をとどめ指導されたのでさらに民芸陶器の基盤がつちかわれた。

史跡 物原山

◆史蹟 物原山◆
物原山は武雄市武内町黒牟田にあって桃山末期の慶長元和の頃、 約420年前より現在に至る間に陶窯器のカケラが積み重なって 小さな山となったものである。  規模は高さ32m、長さ108m、幅30mで昭和5年文部省 からも重要史蹟として指定を受け、わが国の窯業史上主要なもの である。



◆史蹟 錆谷古窯跡◆
武雄市武雄町黒牟田より東方800mのところにある約420 年前桃山末期に朝鮮の陶工宗伝と共に帰化した群団陶工の開窯に 依る当時の窯跡がある。。